被災地へのボランティア活動をすることや、そういった気持ちを持つことは大切なことですが、
逆に迷惑になってしまっていたり、自己満足にすぎない行動を取っていたりと、
色々な状況があります。
被災地ボランティアへの意見
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東日本大震災を経験しました。
一度でもあの凄惨さを実体験として肌で感じた人と、幸運にもそうでない人とでは、命の危機が迫ったとき「真っ先に何が求められるか」「一番に必要なものが何か」という考え方に隔たりが生じるのは、残念ながら仕方がないことだと思っています。
SNSでの過激な意見は、その一瞬では誰かの気分を害するかも知れませんが、そうした経験者の声がより多くの人に届きやすい社会になれば、本当に必要な支援が何か、誰もが考えられるようになると信じています。
気持ちを気持ちのまま届けるよりも、その気持ちで充分に考えて届けられたものこそ、誰もが納得する、真に「気持ちのこもった支援」だと思っています。
「自分の手で災害復旧に役立ちたい」という気持ちはありがたいのです。
でも、単に災害地へ乗り込むだけでは正直役に立つことは少ないのです。
私は23年前の大規模災害の被災者ですので、敢えて言わせてもらいます。
あの災害は日本におけるボランティア元年という側面は確かにありました。
でも、有態に言えば「あなたがしたいボランティア」と「現地で必要とするボランティア」が必ずしも合致しないということが現実なのです。
私の街では下水がほぼ整備されていましたが、簡易トイレに頼らざるを得ない状況が長く続いたのです。
つまりは汚物処理ということですね。
テレビ等で紹介される救助活動及びボランティアは、絵になる構図と題材が取り上げられることが多いので無理もないかもしれませんが、少なくとも頭に思い描く像と現実には差異が大きいということを忘れないで欲しいのです。
非情に悪い言い方で恐縮ですが、自己満足のためのボランティアなら現地ではまず役に立たないと認識してください。
それと、被災者にとっては災害復帰までの道程はとても遠くて長いのです。
2~3日から1週間程度のボランティアとは違うのです。
私の街では災害復旧住宅が完全に無くなるまで実に満5年以上かかりました。
一時の義侠心が通用するほど甘くはないのです。
「何かの役に立ちたい」という志はとても立派なことです。
でもそれだけではなく、食糧と道具と寝袋持参でなければどうすることもできない、ということが被災地の偽らざる現実なのです。
身一つだけで、という考え方は危険が伴います。
訓練も知識も無いただの素人ができることは実は限られているのです。
電気も水も暖も衣料も医療品も不足している土地で何ができるでしょうか。
二次災害で見ず知らずの人間にまで救いの手はなかなか届かない、という認識も必要です。
つまりは、変事の際には自分の身は自分では守らなければいけない、ということですね。
これだけの覚悟ができて、実践できる人だけが参加ができるのです。
気を悪くされる方も居られるでしょうが、現地の過酷さに遭遇して逐電した人を何人も見ていますから、書かせていただきました。
予想と現実とは違う。
少なからぬ危険と隣り合わせですので、辛い思い出を思い出しながら書いたということもご理解いただけたら幸いです。
最後に一言。
できるだけ多くの人に現実を真に認識していただいた上で、ボランティア活動に参加していただきたいです。
全く、被災地に対して無関心でいるよりは、偽善だとしてもボランティア活動の意義はあると思っていました。
しかし、被災された方々の意見を読んで、自己満足の行動ではなく、相手の心理に沿う行動が一番のボランティアなのだと実感させられました。
軽い気持ちで、ボランティア活動をすべきではないと考えさせられます。
岡山にて実際に床下浸水等の被害があった地域に住んでいます。
親族の家は未だに完全に水没しており、地域に近付くことも出来ないので、救援へ行くのも難しい状況です。
当方の地域にも衛生用品などをボランティアで物資を運んできてくださったり、排水作業などを手伝いに来てくださったりした方々がいらっしゃり、本当に助かりました。
何より、不安な状況で、大丈夫!と声を掛けて貰える事と、力を貸して貰えることが本当に有り難かったです。
一方、親族の地域では、物資を運んで来て下さるボランティアさんもいらっしゃるようなのですが、地域に近寄れないため、救援部隊が通る道に直置きして去られる方も多くいらっしゃるようです。
有り難いのですが、救援部隊の通り道を妨げ、救護が遅れることとなり、ありがた迷惑になる状態が続いているそうです。
他の地域から来られて、生活道等がどういった作りになっているか分からず、取り敢えず分かりやすい所へ物資を置く、と言うのは分からなくはないのですが、もう少し、自分が被災した場合、このような事をされたら(善意があるのは勿論分かりますが)どういうことになるか等、よく考えていただきたいと思います。
たしかにボランティアに自己満足的な面があるという意見は、半分正解かもしれません。
だからと言って見て見ぬ振り、何もしない人ばかりになるのは悲しいです。
少なくとも行動を起こしていることは、ある程度評価されるべきかと思います。
もちろん思慮深く行動するに越したことはありませんが。
自己満足の為に身勝手に被災地に入るのは迷惑です。
しかし、そういうタイプの人に限って自分が自己満足でボランティアをしていると思っていないから困ります。
善意の押し売りです。
あくまでも個人の感想ですが、しっかりとどこかの団体を通じて、自治体の募集から来てくれるボランティアの方は問題ありません。
私の住んでいる地域はよく冠水している地域です。
台風でもまた冠水しました。
その度心の傷はありますが、みんなが手伝いに来てくれたり、ボランティアに来てくれるのはありがたいです。
やはり1人でするよりみんなでした方が頑張れます。
ボランティア自体には賛成ですが、要請も無い中で自主的に行うことについては否定的な見方をしている者です。
被災した現場は当然交通機関が麻痺していることが考えられます。
そこへ要請のない方が向かうことは、交通渋滞などを招く恐れがあります。
そうなると、支援物資の配給が遅延したりする可能性があり、被災した方々の迷惑になる、あるいは命を危険にさらす行為であると感じています。
被災地へのボランティアは、国や然るべき機関が状況を把握し、必要に応じて民間人へ要請するのが正常な状態ではないでしょうか。
それ以外の自主的なものやSNSでの拡散・様子伺いの投稿などはただの自己満でしかないと感じます。
自分の所属する会社や自治体からの要請があれば、私は参加したいと考えています。
大阪北部地震で被災しました。
こういった状況でボランティア活動に来てくださる方達には心から感謝しております。
熊本地震の際の恩返しで、九州から駆けつけてくれたボランティアの方などの話を聞いてとても心が暖かくなりました。
一方で、著名なスポーツ選手が被災者の為に義援金を渡してくれたニュースを目にしました。
その行為自体は素晴らしいと感じましたが、ニュースの記事を見ていてどうも義援金を渡すだけが目的ではなく、万博誘致のPRも兼ねていました。
義援金を渡す行為を政治利用しているなと感じたのが少し残念でした。
実際に体力に余裕がある方が現場に来てくださるボランティアは助かると思います。
水害などで道路や家の中に入った土を片付ける作業は非常に重労働で時間がかかるため、高齢者の家などでは特に必要だと思います。
賛否両論の意見はありますが、まずは何かをしたいという気持ちが大切ではないかと思います。
もちろん、実際に役立つ支援も大事ですが、、、。
いろいろな形態のボランティア活動があってもいいのではないでしょうか??
ボランティア活動は人生長い目で見て「自分ができる時にする」という考えをもっていてもいいのではないかと思います。
現地に行きたくても、いろいろな都合で行けず憤りを感じたりする場合がありますが、ボランティア活動は、なくなるものではなく永遠に続くものだと思います。
例えば、定年してから、子育てが落ち着いてから等、できる状況になったときに活動ができればそれでいいのではないかと思います。
無理したり、ヒーロー感を味わいたいとかはNGです。
被災地でのボランティア自体は素晴らしい行為だと思うのですが、多くの方がただ自分がボランティアしたという事で満足してる状況なので、そこを被災者の方の目線でどうしたらいいか考えられるようになればいいと思います。
行き過ぎたボランティアは親切ではなく迷惑になります、
プライベートの部分に入り過ぎて迷惑だったと聞いた事あります。
する側も、してもらう側も、意思疎通が必要なのはボランティアじゃなくても当然のことです。
ヒアリングも調査もせずに、ただ行動するのはいただけません。
今何が必要なのか、現地の人達の声を聞いて初めて気づく事あります。
衣類ばかり送られても困ります。
そんな被災者の声を届ける方法はいくらでもあると思います。
テレビ、ネット、SNSをもっと上手く活用すれば、ズレたボランティア活動への批判も減ると思いますし、価値あるボランティア行動が出来ると思います。
被災地のためのボランティアに参加したいと思ったことが過去にあります。
そのときにインターネットなどで参加できるボランティアを探しましたが、どの団体が信頼できるのか判断ができず断念しました。
また、個人で被災地に出掛けることもハードルが高く、結局募金をするに留まりました。
一般のひとがもっと参加しやすいようなボランティアの仕組みがあると良いなと思います。
ボランティアは、被災者の負担、邪魔にならないように、自活できる準備をして、可能な状況になってから行うべきです。
今は、被災者が生き延びるだけではなくて、如何に避難生活の質を上げることができるか、ということが重要になってきています。
それだけ、画一的な支援は無駄が多くなるように思います。
どんな支援が必要か、被災した側の状況、要望を的確にまとめて発信することができる団体(通常は地方自治体でしょう)が一番大切だと考えます。
被災地にボランティアに行くことに関しては、自治体の体制が整ってから行くべきだと思います。
自治体の体制が整っていないうちに行くと混乱を招いてしまうと思うからです。
SNSの反応
被災地ボランティアに対するSNS(Twitter)の反応をまとめます。
災害発生時社協ボランティアセンターなどが運用されてない段階で他県から被災地に行かない、荷物を送らない、これ大事。
— うさ夫(公式) (@kumausao) 2018年7月9日
阪神大震災の時もいたが、ボランティアレスキューと言いつつ、被災地での強盗が多発しているようです。
火事場窃盗団にはくれぐれもご注意ください。— 富良野メロンパン関西 (@meronpan2010) 2018年7月9日
安全靴無しで被災地入りしてボランティアとか正気かよ
足を釘で貫通されたいのかよ— キサラギ職員/DSの人 (@DSnohito) 2018年7月9日
現地のニーズがわからない以上、支援は物より金が一番だと思う
被災地は平時と違って物流も停滞してしまってるんだから、いらない物を送りつけて少ないリソースを圧迫すべきじゃない
必要なものは現地の政府やボランティア団体がその都度用意してくれる— inui (@inui20100621) 2018年7月9日
災害のたびに個人の支援物資の輸送は話題に上がってる気がする。
断られたこと、受け取ってもらえなかったことに対して憤りを感じる人は、実際に被災地に行ったことない人なんじゃないかな。
体制が整ってない状態で来るボランティアの人や支援物資は邪魔だよ。— クロちゃ (@crocha_traveler) 2018年7月9日
みんなツイートしてるけどぜっったいに、よかれとおもって、古着や家のいらないものを被災地に送らないで。
よれよれのしわしわの服を仕分けるのにボランティアが充てられたりします。現地を助けにいくのに。周りから送られてくるもののチェックして終わるんです。歯がゆいんです。
— 猫叉 クリマ両日ワークショップJ-22,23(2号館) (@nekomata22) 2018年7月9日
被災地にマイカーで行くボランティアマンが迷惑なのは7年前に既に知られている事なので、
6歳児の可能性がある— あるてぐどらく (@altegdrk) 2018年7月9日
40歳過ぎた人が熱射病や過労で死んでも良いから水害被災地にボランティアに行く!ってのは病気だよ。
迷惑になるから止めなさい!
— レミス野良猫LOVE (@00Longinus00) 2018年7月9日
千羽鶴(折り鶴)を送ることについて
【大雨の被害を受けていない方へ】
折り鶴を贈るのはやめてください。場所も取る上重く、モノがモノですから捨てづらい、食べ物でもなければ売ってお金にできるものでもない。完全に作る側の自己満足でしかありません。折り鶴を作る費用を募金してください。お願いします。東日本大震災経験者より。— のりたま🎋 (@NORIhannya) 2018年7月7日
折り鶴は手間と時間をかけて送り手側が自己満足してるだけで何の役にも立たないと同じような事を言っていました。
処分される費用は、普段私達が払っている税金が使われる。
折り鶴の処分に多額の税金を使っているので「そんなものに税金を使うな!」と多くの方々から文句を言われるのだそうです。
— なんでも工房「・Α・」 (@nandemokoubou) 2018年7月8日
千羽鶴を贈る人(子供)の気持ちも考えて、という声。全身ずぶ濡れ、替えの服もなく避難所の固くて冷たい床の上で家族は生きているか、明日も生きていられるだろうか、と悲惨な精神状態の被災者が、なぜ安全な場所で衣食住足りている人の気持ちに寄り添わないといけないのでしょう。逆ではないですか?
— 円井紅緒●ワンピ垢 (@ponmaimarumomo) 2018年7月8日
あなたは、折り紙を折ってる子に、
『邪魔だからやめてね』
というのですね。。。— nanashi (@iwatawatawata1) 2018年7月8日
ええ、本当にそれが邪魔であるのならば伝えるべきだと思います
もちろん理由も伝えますが
子どもだからこそ「相手の嫌がることを平気でやって、それを相手のためだと押し付ける」ような子に育てる気はありません
— みつきは蛇の教団員 (@Mituki_Sweet) 2018年7月8日
馬鹿な大人に騙されている子供達に、それは迷惑なんだよ、と教えてあげるべきですね
— ゆいかMETAL♂ (@yu2ha1) 2018年7月8日
千羽鶴を作る人員・労力は被災地ボランティアで使えばいい
千羽鶴の材料費は物資のために使えばいい
千羽鶴は被災地を綺麗にはしないし、お腹も膨らまない— せりぬん@7/21水樹奈々広島 (@serinu_n) 2018年7月9日
有能な働き者
被災地にボランティアに向かい、現地と連携しながら的確に復興を進める有能な怠け者
募金をする無能な怠け者
何もしない無能な働き者
千羽鶴を折って送るってやつ?
— 0.1トンのデブ (@h2_nhr) 2018年7月9日
アンケート結果
被災地ボランティアについてアンケートを取りました。
アンケート概要
- 実施場所:クラウドソーシング(400人)
- 実施期間:2018年7月
被災地ボランティア活動についてのアンケート結果
被災地でのボランティア活動において
- ちゃんと考えて現実的に役に立つ支援のみすべき
(迷惑になるような支援はNG) - 助けになりたい気持ちが大事
(とにかく動くことが大事) - どちらとも言えない
上記3つの中から選んでいただきました。
約5人中4人が、しっかり考えて現地の人々の助けになる支援をしましょう、という意見でした。
まとめ
「気持ちだけで被災者は救えない(むしろ被災者の負担を増やすことも)」
まさにその通りですね。
日常生活でもたまにある「よかれと思ってやったのに・・・」が、大迷惑になることもあります。
それは、かなり質の悪い自己満足行為ですし、思考的にはストーカー犯罪に近いものがあります。
実際に相手にとって負担(迷惑)になっている行為なら、そんな間違った善意を正当化することはもちろんできません。
少なくとも被災地ボランティアにおいて、大切なのは自分の気持ちではなく被災者の気持ちです。
優しい被災者の方は「気持ちだけで嬉しいよ」と言ってくれたりもしますが、もちろんそんな優しさに甘えるのは論外でしょう。
助けが必要なのは被災者側なのですから。
ボランティア活動する側(助ける側)が甘やかしてもらってどうするんですか。
相手(被災側)が望むこと、望まないことをしっかり考えて、本当の意味で被災者の助けになる活動をしていけるよう努力していかなくてはなりません。